『流浪の月』(2022)★★★☆☆

流浪の月 ★★★☆☆

凪良ゆうの小説が原作。
原作をベースとしつつ、映画には文の愛読書としてエドガー・アラン・ポーの詩集が登場したり、誘拐事件の決着の場面が水辺にアレンジされていたり、小説にはあった更紗の両親の描写がなかったりしている。

ある日の夕方、雨の公園でびしょ濡れになっていた10歳の家内更紗に19歳の佐伯文が傘をさしかける。伯母に引き取られて暮らす更紗は家に帰りたがらず、文は更紗を自宅に連れて帰る。更紗はそのまま2カ月を文の部屋で過ごし、やがて文は更紗を誘拐した罪で逮捕される。「被害女児」とその「加害者」という烙印を背負って生きることとなった二人は、事件から15年後に再会するのだが。

何のフィルターもなく物事を見るということは難しい。彼が本当に悪だったかのかどうかは、彼と彼女にしかわからない。その人が感じていることを自分の尺度や価値観で正しいとか間違っているとか言う意味なんてないよなと思う。思いやりという名のなぞのフィルターによって発せられる言葉や態度に辟易してしまうね。合わせて自分の優しさと思っていることも本当の優しさなのか不安にもさせられたりもするのだが。

ラストに文が小児性愛者ではなく、自身の病気による身体のコンプレックスのために幼い子(や育ちの悪いものなど)に執着しているのだとわかる。文は性愛の対象にならない幼い女の子を可愛いと思っている間だけ自分の中の恐怖から逃れられるのだという。
更紗に対して少しでも性的な欲望を感じたのかということが映画では曖昧になっていたけど、小説ではそうだったらいいのにという言い方で否定されていた。
それでは文が誘拐事件に対して飛び交う嘘の内容を否定せずに受け入れるのはなぜだろうと思ったけど、「この先の人生すべてと引き換えに心の安定を手に入れた」と小説にあって、なるほどと思った。こうすることで精神的な苦しみから解放されたかったのだという。親の期待や既定路線のレールに対する反発、復讐ということなのかと思ってなんだかつらくなった。
周りなんてどうでもよいと思える強さを彼らに与えてほしいと思う。

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